俳句はファンタジーじゃなくてVR。エモいというよりリアルなんだった。

俳句はファンタジーじゃなくてVR。エモいというよりリアルなんだった。

こんにちは。imagineです。

ニシキゴイという俳句のSNSを開発しています。

iOSのみですが、ダウンロードはこちら

ニシキゴイは、私がプログラミングの勉強を始めてから、初めてのアプリです。

なのでリリース当初はたくさんの人に使ってもらえるものにしようなんぞは、そんなに考えていませんでした。

というより考える余裕がありませんでした。

でも最近

俳句ブームである。俳句人口は500万人とも1000万人ともいわれている。- 新書マップ | 読書ガイド | 俳句入門

俳句ブームというのは昭和 30 年代からのことで、今も続いている。半世紀も続いているということは、もはや俳句はブームでは なくて、言うならば「俳句の時代」ではないかと思います。 – 「もう一つの俳句の国際化

といった記述を見たりしていると、

あれ、ニシキゴイはもっとたくさんの人に使ってもらえる可能性があるんじゃないかと思い始めました。

お〜いお茶の伊藤園新俳句大賞の盛り上がりや、TBSのプレバト!!をみていたりすると自分と同じ若い世代にもウケるんじゃないかとも思い始めたわけです。

少なく見積もって100万人はいるであろう俳句人口の1%が使ってくれれば1万人のユーザーがいることになります。この事実にとてもワクワクしました。

 


 

話が少しそれてしまいましたが、この100万人ものかたがたのうちの少しでも多くのかたにニシキゴイを使ってもらうべく、私は、「俳句とはいったいどういう存在なのか」を少し考え始めることになります。

そしてそれまでコンセプトなんぞなかったニシキゴイにコンセプトをつけました。

そして、それは「エモいSNS」。

まず、「 俳句 とは 」をググると、

古池や蛙飛び込む水の音 (ふるいけやかわずとびこむみずのおと) – 松尾芭蕉

のような有名な作品がヒットします。

これをみて私はよく意味はわからないですが単純に

エモい!!!

と感じたのです。

意味を調べてもいまいちしっくりこず、例えばかの有名な太宰治さんはこう仰っています↓

 

池のほとりに立つてゐたら、
チヤボリと小さい音がした。

見ると、蛙が飛び込んだのである。

つまらない、あさはかな音である。

とたんに私は、あの、芭蕉翁の
古池の句を理解できた。

 

いや、何勝手に理解してくれとんねん(なんとなくの関西弁)。

 

全然理解できないです。でもなんだかエモい!

このエモいと思っちゃう感覚は間違ってないだろうと思って、さらにお〜いお茶の入賞作品を調べてみると

失ったものを 数えて 進級す – どっかの中学生

これにはその意味を解釈している記事があったので意味がよく伝わってきました。

特に中学生という多感な時期にあって、進級というのはたしかに一大事でしょう。クラス替えがあって、仲のよかった親友やひそかに恋心をいだく異性の子と別のクラスになったかもしれません。或いは部活動の先輩が卒業をしてしまったのかもしれません。

すこし飛躍した連想ですが、春という季節だけに家族に異動があった、ということも考えられないではありません。お父さんが転勤になった、とか。もっといえば、飼い犬が死んでしまったとかそういう可能性もあると思います。

そうしたものを指折り「数えて」進級したというのです。春という季節特有のやや不安のあるなかを、いままさに生きているのです。

– 俳句をよむからだ 第3句 いまを感じる俳句。 – 又吉直樹さんと中学生の句から。

 

やっぱりめちゃくちゃ俳句ってエモい!!!頑張れ!!!中学生!!!

と思いました。

だから、17音という世界でもっとも短い文学である俳句は、人々を感傷的にさせるチカラがあるのだと信じるようになります。

(↑これがちょっとした勘違い…)

そしてここでニシキゴイのコンセプトが閃いてしまいます。

エモいSNS

twitterとかインスタとか他のSNSではイタいとかメンヘラとか思われるような投稿も、ニシキゴイでならできる!そんなポジショニングを狙えるのではないかと思ったのです。

失ったものを 数えて 進級す

例えば先ほどのこの一句を、俳句ではなく普通にツイートしたらどうなるでしょうか。

前からひそかに好きだったあの子と一緒のクラスももう終わりかあ。

私がツイートしたら、すぐ友達にスクショ撮られて「黒歴史」って言われそうな感じです。

ツイッタラーはこういう内容に対して非常に攻撃的なのです。

でもニシキゴラーは違います。俳句という一種の芸術の形にすると、不思議ですがいわゆる炎上のようなことは起きないです。

これらの根拠をもとに、私は「エモいSNS」としてニシキゴイを開発してきました。

いいねボタンの代わりにエモいねボタンもつけました。

そして確かに、時々エモい投稿を見て、心がキュンとなります。

 

彼と会わぬどうでもいい日にキマる髪 つばくろ

 

 

青になれ 駆け出したいの 彼の元 Q

 

果たしてこれらが俳句と言えるのかはわからないのですが、すごく素敵です!

自分がつくったアプリ内でこんなに素敵な投稿がされる時点で、プログラミングの勉強を始めてよかったなあと思います。

そしてコンセプトである「エモいSNS」もぴったりだ!と思っていました。

 

でもこれまで私は少し「和歌」と「俳句」を混同していたようです。

 

 

和歌は心を詠むもの、俳句は景を詠むもの – 俳句をよむからだ 第7句 あなたが感じる俳句

 

俳句は景を詠むもの。心を詠むのは和歌だったのです。

確かに短歌(31音)のSNSうたよみんには、めちゃくちゃエモい投稿がされているなあと思っていました。

それに比べて17音に制限されているニシキゴイにはなんとなく味気ない投稿が多いなあと。

 

17音で、31音でしているような「心を詠む」ようなことをしてしまうと味気ないものになりがちなのかもしれません。

参考の記事では、俳句にはバーチャルリアリティ(VR)の要素があるとも書いてありました。

つまり俳句も目の前の光景を徹底的にリアルに再現する。それをOculusとかじゃなくて17音でしているのだということです。

ニシキゴイにおいていいなあと思う投稿とは一体どのようなものなのか。考えてみると、確かにいいなあと思うものはすべてリアルでした。

人間臭さがプンプンするものこそ、エモかったのです。

さきほど17音には人々を感傷的にさせるチカラがあると言いましたが、そうではなく人々を素直にさせるチカラがあるということだったのかもしれません。

私はこれまでユーザーに「エモい投稿を!!!」と鼻息荒くしてコミュニティ作りを試みてきました。

しかし、私がユーザーにしてもらうべくは、人間臭いリアルを綴じ込めた17音の投稿だったのです。

「エモい」から入ってしまうと、俳句ではなく和歌になってしまいます。

だからニシキゴイでは、ファンタジーを無理に俳句にして詠んでもらうべきではなく、「どれだけそれぞれの今を忠実に17音で描いてもらえるか」を考えるべきでした。

気づきました。エモい投稿が人々にとってエモいのではなく、リアルな投稿がエモいのだと。(何言ってるのかわからなくなってきた)

 

仕事や勉強の合間などに俳句を詠む。

そして、今、ここにいる「わたし」のみているリアルな世界を17音で再現する。

その17音をどれだけ実感の高度な再現として他の人に届けられるかに没頭する。

そしてそれを至福の息抜きとする。

 

なんとかしてこんな体験を提供できるように頑張っていきたいと思います。

微妙な方向修正ではありますが、結構頭を悩ませたので、備忘録としてブログにさせていただきました。

 

参考にさせていただいた連載です。ものすごく素敵な連載でした。

俳句を詠むからだ | CIRCUS

あとニシキゴイよかったらダウンロードしてください。

 

 

imagine

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